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視覚障害のある鍼灸師の雇用を考える①

NPO法人FDAは就労困難な方に様々な業界や業種で働けるお手伝いをしています。
その一環で株式会社マーチングループ(https://www.doi-hari.com/のご支援をしており、代表の土井亮介氏と当法人理事長の成澤で対談を行いました。
記事をお読みいただき、興味がある方はinfo@fda.jpでご連絡ください。


 

成澤:まずは簡単に会社のご紹介をしていただいていいですか。

土井:はい。私の会社は、株式会社マーチンググループという会社で、鍼灸院を4店舗経営しています。横浜市都筑区のセンター北駅に2店舗、もう一店舗が青葉台の東急系のスポーツクラブに1店舗、そして、東急東横線の学芸大学駅のスポーツクラブ、これも東急系のスポーツクラブに1店舗出店している形になります。

成澤:会社を作られた、創業のきっかけをお教えいただいていいですか?

土井:もともと私自身が、高校時代に野球をやっていて、そのとき、高校自体は甲子園を目指そうみたいな感じのチームで、部員も100名を超えるようなところでした。

いずれはプロ野球選手になろうみたいな感じで野球をやっていたんですけど、その先、大学に行って、いずれ社会人、プロ野球という中で、はたして自分が野球でご飯を食べれるかというところになったときに、やっぱり自分の実力では難しいということに気づいたんですよね。
ただ、じゃあ、この先何をやりたいかなと考えたときに、何もないまま大学に行くのは嫌だったなあということだったので、自分は何が好きだろうと思ったらやっぱりスポーツが好きだと気づいたんですね

。結構けがも多くて、けがに泣かされた時期もあったので、そういう選手のけがをケアする仕事に就こうと思って鍼灸師になりました。

成澤:高校時代に、鍼灸とか、治療院、マッサージみたいなところには行かれていましたか?

土井:実は鍼は、やったことがなかったんです。

成澤:あ、そうなんですね。

土井:他のことは、たくさん、いろんな整体だとかなんかよく効く噂の電気治療、みたいな

成澤:温めてみたりとか

土井:そうです、そうです。そういうのはいろいろ受けたりしたんですけど、正直抜群に効いたみたいな感覚がなかったんです。

で、治療家になろうと思って高校の時に、いろいろ調べたときに、鍼治療というのがあるっていうのを知りました。

両親も鍼治療っていうのを受けたこともなかったので、そのときに、知り合いのつてに鍼灸師の先生を紹介してもらって、実際に鍼を受けに行ったらすごい効いたのが分かったんです。

一番辛いところにとどくみたいのがわかって。それでもうこれだと思って。

成澤:なるほど。

土井:でも当時はやっぱりすごいマイナーというか、18年前くらいになるので、それこそ鍼灸の学校の数もすごく少なかったので、両親も大学に行ってから考えれば良いんじゃないかって。かなり特殊な専門職になるので。

だけども、僕はかなりその魅力に魅了されてしまったので、もう少しでも若い間に一流になってやろうと思って18歳で専門学校に入りました。

成澤:専門学校時代は、実習やロールプレイをしたり、先生から座学で教わったり、どんな教育を受けてきましたか?

土井:一応3年間学校に行ったら、国家試験の受験資格がもらえるんですけど、1年生のときに、きっと勉強が大変だろうなあと思ったので、アルバイトもしないで学校に集中しようと思ったんです。

まあこんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないんですけど、入って半年で、「このままの技術じゃ、絶対卒業して通用しないな」とわかったんですよ。

やっぱり週2回、3回の実技で実際患者さんに治療ができるかと考えたときにこれは無理だなと思ったので。

成澤:その感覚はみなさんそんな持たれないですよね?持つけれどもちょっとうやむやにするんですか?

土井:持つ人もいれば、持たない人もいる感じですね。

成澤:それは土井さんが一流の治療家になろうという熱意があったからこそ気付けたんですかね?

土井:それもあると思いますけども、仲間たちが今でも結構現役で活躍している人たちは当時からそういう思いが強かった仲間が残っているという感じですね。

それで、午前中からお昼すぎまでは学校に行って、午後に鍼灸の勉強しに治療院に弟子入りしたっていう感じですね。

成澤:なるほど。そんな中、会社を作られたのは4年、5年前?

土井:4年前ですね。

成澤:高校時代スポーツをやっていて、治療家に救われて、治療家を目指して学校に行って、弟子入りして、会社を作ってと、一見すると順風満帆そうに見えるかなと思うんのすが、今までご苦労された経験だったり、人生のターニングポイントになったことってどんなことがあります?

土井:もともと僕はすごい治療が大好きなので、今も会社の代表ですけど、現役でやっぱり治療に出て、実は成澤さんとの対談後、午後には治療院に戻って、治療をするような。とにかく治療が大好きなんで、別に会社にする必要はないことはないんですけれども、僕は本当にこの仕事に入っていろんな師匠たちと会って、いろんな患者さんたちと会って、この仕事って本当に素晴らしいな、最高にいい仕事を選んだなというふうに自分自身が思えるようになったんですよね。

だけど、中学生の時にすごいお世話になった先生に、友達づてに「私が鍼灸師になったのは反対だ」という話を聞いたんですね。

先ほど言ったように、「こんなにいい仕事を僕はしてるのになんで反対されるのかわかんないな」という気持ちでずっといたんですけど、ちょうど僕が結婚するときに、先生にスピーチを頼む機会があったので、その話を思い出して、「先生、そういえば僕が鍼灸師になるの反対だったんですよね?」という話をしたら、「あーそうだよ」って。

「何でですか?」と言ったら、実はその先生は我々を教える前に、盲学校の先生をやっていて、だいたいそこの卒業生たちは、鍼灸師になる人たちが何人かいると。

そこで私みたいな、なんでも仕事が選べる人が鍼灸師になってしまうと、視覚障がい者で鍼灸師になる人たちとライバルになってしまうと。

君たちみたいな人がどんどん増えれば増えるほど、そういう人たちの職を奪っていることになるんだよ、と聞いたときに、僕はそこまで考えたことがなかったんですよね。

「僕がやればやるほど、頑張れば頑張るほど、そういう人たちの職をなくしてしまっているんだ」と考えたときに、果たして僕がこの仕事を続けていて良いのだろうかと思ったんですよね。

ただ、やっぱり、この仕事が好きだし、まだまだやっていたいし、それだったらもっともっと自分が頑張って視覚障がい者の鍼灸師の人たちの雇用を増やせるような会社を作りたいと思って、会社設立を考えるようになりました。

成澤:今の段階としては、これからやっと視覚障がいを持つ方を受け入れていけそうとか、どんな段階ですか?

土井:そうですね。本当にただ言うのは簡単ですよ、雇いたいと。

世の中にたくさんそういう人いますし。

だけど、実際にどれだけ長く、どれだけ多く、ということを考えると、ある程度の基盤・資本が必要になってくるわけですね。

だから、まず最初に僕は人を雇ったこともない状態からいきなり視覚障がい者を雇用して、というのはやっぱりかなりリスクがありましたし、まず健常者の人で誰か雇って、弟子を育てて、その人がまず一人前になれるかどうか。

よしじゃあ一人前になれた、じゃあ次に僕がいない店舗でその人たちが活躍できるかどうか、それを見た。それで利益が出るようになった。

じゃあ会社としては、仮に視覚障がい者が活躍できる店舗を持った。赤字だった。それでも会社がつぶれない状態を作らないといけない、というところまで今来れた。

成澤:すごい!

土井:やっと今から視覚障がい者の店舗を持つ準備ができた、というような形ですね。

 

 

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